アラ還の選択 

世間には、サラリーマンと自由業の人 どっちが多いのだろう

20代のころ、そんな会話で盛り上がったことがある。
サラリーマン生活になんの疑問も感じなかったがむしゃら時代の記憶。
深く調べるつもりもない、たわいない話題。スマホもないし調べる習慣もないし。

その後35年間、会社人として暮らし、
今、会社を辞めて2か月経過。

あの時の会話をなぜか思い出す。きっと、自由業に近づいているからなのか?

自分にとってはあまりに自然な流れだったと感じる。
一週間は7日だけ。
5日間働いたら、2日しか残らない。
それでは違う。足りない。間に合わない。

そんな思いがむくむく膨らみ続けたここ数年。

「何に間に合わないの?」「働きながらじゃ足りないの?」
そんな自問自答は続いているし
答えは行きつ戻りつしているが
ブレないのは、優先順位。

何人かの重要な人たち。
脳の隅にコロコロ転がる、小さな「やりたいこと」達。

 老いた両親との無二の時間。
 バイトも部活の雑事も断り切れず、「きっと私は社畜タイプ」と弱々しく笑うオタク大学生娘。
 制服も靴下も受験票もパスポートも散乱させちゃう「片付けられない」ギャルJK娘。
 ストレスのせいで、サプリと通院漬けの いわゆる働き盛りの旦那。
 ・・・そんな愉快で大事な人々と並走するのは、週2日では「不十分」だった。

 「ずっと工事中」のはずだった愛しのサグラダファミリア。急速に完成に近づいているらしい。
 御年90歳 義姉のお母さまが、地元の麻雀大会でぶっちぎりの優勝を繰り返しているらしい。
 投資信託で損してる。お金を勉強してこなかったツケだ。銀行の言いなりを卒業したい。
 いくつになっても筋肉はつくらしい。この二の腕、まだ何とかなるのでは?
 ・・・やりたいな、行きたいな と言っているうちに、恐ろしいほど時間が過ぎた。

雇用機会均等法世代の自分は、気づかぬうちに、自分の宝物をナイガシロにしてきたのか。

そうは思いたくないし、きっとそうじゃない。
が、ひょこひょこ首をもたげる「足りない」感覚。

うーむ。急がないと。一緒にいないと。見に行かないと。始めてみないと。
本当に手が回らない。こんなに働いていたら。 
大事なことが、指の間からボロボロこぼれていくのは、耐えがたくなってくる。

それが会社を辞めた理由です。

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